尼崎城(あまがさきじょう)は兵庫県尼崎市にあった尼崎藩の藩庁の城郭である。
元和3年(1617年)、戸田氏鉄(うじかね)が5万石で入封し、戦国時代の城跡に築いた。3重の堀をもち、本丸には4重の天守と3重の櫓が上げられた。
戸田氏の後は、青山氏4代、そして正徳元年(1711年)桜井松平忠喬(ただたか)が4万6千石で入り、以後桜井松平家の支配が7代と続き幕末を迎えた。最後の藩主は忠興(ただおき)である。
明治6年(1873年)の廃城令により建物は一部を除き取り壊されたが、明治7年(1874年)、本丸御殿の一部が菩提寺・深正院(市内大物町)の本堂として移築された。この本堂は戦前まで残っていたが、戦災に遭い焼失した。
城跡に尼崎城址公園が整備され、石垣および土塀が模擬復元されている。
尼崎城は、大物川と庄下川が大阪湾に注ぐデルタ地帯に築城された城で、尼崎城に直接船が横付けできた事から、海に浮かんだような城であったと言われている。
水堀は2重、3重に巡らされ、縄張りはほぼ正方形、本丸を中心に、天守、三重櫓、門、本丸御殿、二之丸、松之丸、西三之丸、東三之丸、南浜などを備えた近世城郭であった。